道枢の境地

全ての存在は「あれ」と「これ」に区分される

しかしながら、あれの側からいえば、これは「あれ」であり

あれは「これ」である

つまり「あれ」なる概念は「これ」なる概念との対比において初めて成立し

「これ」なる概念は「あれ」なる概念とのはじめて成立するというのが

彼我相対の説である

相対的なものは「あれ」と「これ」に限ったわけではない

例えば生と死、可と不可、是と非、との関係もまた然り

すべて物事は相互に依存しあうと同時に排斥しあう関係にある

だからこそ聖人は、あれかこれかと選択する立場をとらず

生成変化する自然をそのまま受容しようとしたのである

≪荘子≫歳物論より抜粋