「自分をわかってほしい」という気持ち

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO12058110U7A120C1000000/より引用
 
 
積極的傾聴には、
 
1.繰り返し(あいての言葉を繰り返す)
 
2.促し(話がひろがるような言葉かけ)
 
3.要約(相手の話を自分なりの解釈をふまえてまとめる)
 
この3つが重要です。
 
 
この中で最も難しくて、最も重要なのは「繰り返し」だと僕は感じています。
 
 
相手からの言葉(メッセージ)を、相手へ返してあげることで、
 
「この人は、自分を分かってくれている。」と感じます。
 
 
相手をすべて理解することは出来なくても、
 
相手が「自分を理解してくれいている人」と思ってもらうことは出来ます。(上図)
 
 
そのためには、ネガティブな言葉をしっかりと返してあげることです。
 
 
辛い、不安、苦しい、怖い、寂しい…
 
 
苦しんでいる人の言葉には、必ずネガティブな感情があります。
 
それをキャッチして、言葉にして、相手へ返すのです。
 
 
彼氏に相手にされなくて、「もう嫌いになった。」と言った彼女は
 
相手にされなくて寂しい気持ちを、「わかってほしい」のです。
 
「僕のこと嫌いになったの?」と言えば、きっと彼女はネガティブな感情を話すでしょう。
 
「そうだったんだ、寂しい気持ちだったんだね。」
 
と返してあげたら・・・なんだかうまくいきそうな気がしませんか?笑
 
 
 
医療の現場では、そう簡単にはいきませんが、
 
原理は同じです。
 
これは「援助的コミュニケーション」といって、
 
患者中心の医療やナラティブメディスンには欠かせないスキルです。
 
 
 
 

聴き上手になるには!?

 
前々回のおさらいです。
https://ameblo.jp/n-harikyu/entry-12536272682.html
 
 
 
コミュニケーションには、
 
① 相手が思っていること
 
② 相手が話すこと
 
③ 自分が聞いたこと
 
④ 自分が理解したこと
 
の4つの段階を踏んで行われます。
 
それぞれの段階では歪(ギャップ)が生まれるので、
 
「本当に相手が伝えたいこと」は相手にしか分からないというお話でした。
 
 
彼氏にかまってほしくて、そっけない態度で、
 
「もうあなたのことは嫌いになった。」と言う彼女みたいなものでしょうか(笑)
 
そんなわかりやすければ簡単ですが、実際のコミュニケーションではそうは行きません。
 
では、どうしたらギャップが少ない、いいコミュニケーションができるでしょうか。
 
 
このギャップを埋めるには「積極的に相手の話を聴く、あるいは引き出す能力」が必要です。(積極的傾聴といいます)
 
積極的傾聴には、
 
1.繰り返し(あいての言葉を繰り返す)
 
2.促し(話がひろがるような言葉かけ)
 
3.要約(相手の話を自分なりの解釈をふまえてまとめる)
 
の3つの要素が大切です。
 
 
彼女に「あなたのことは嫌いになった。」と言われたら、あなたならなんて返しますか?笑
 
 
つづく・・・
 

 

心がジーンとなるお言葉

 
僕の密かに尊敬している、鍼灸師の矢野忠先生のお言葉を紹介します。
 
 
「治療」という言葉には、
 
もうひとつ「治癒」という癒やしの側面があります。
 
 
癒やすという漢字は、
 
「愉」のりっしんべんを下に移動させて、それにやまいだれをつけた文字です。
 
癒やすとは「愉快な楽しい状態になるように」という意味があります。
 
 
つまり、僕たちは東洋医学の知識と、鍼灸という手段を使って
 
「心が串刺しになった」患者さんのトゲを一本ずつ抜いてあげて、
 
ものごとが楽しめる、愉快な心の状態してあげられるよう「治癒」しているのです。
 
 
 
 
 
ハリトヒトより・・・

 
著名な鍼灸師の先生方へのインタビュー内容がまとめられています。
 
とても読みやすいので、一般の方でも楽しめます。

コミュニケーションのギャップ??

 
 
医療現場でのコミュニケーションは、いくつかの段階を経て行われます。
 
その過程には、いくつかの“コミュニケーションのギャップ”があると言われています。
 
 
① 相手が言いたいことや、感じていること
 
② 相手が実際に言うこと
 
③ 自分が聞いたこと
 
④ 自分が理解したこと
 
 
昨日の僕と患者さんのやりとりで考えてみると・・・
 
「いつまで治療をつづけたらいいんでしょう?」
 
という言葉には、
 
「私はいつになったらよくなるんだろう」
 
「値段が気になるので、回数を減らそうかな」
 
「私のゴールってなんだろう?」
 
「最近調子がいいから、一旦終わろうかな」
 
いろいろな解釈ができると思います。
 
 
昨日の僕と患者さんの会話には、①→②、③→④に
 
コミュニケーションのギャップが生じている可能性があります。
 
つまり、
 
 
「いつまで治療を続ければいいですか?」という問いを
 
「いつになったらよくなるの?」と僕が解釈したことが、
 
本当に正しかったかは、患者さんにしかわからないのです。
 
 
僕たち医療者は、この歪み(ギャップ)を極力少なくする努力が必要です。
 
 
では、どのように??
 
 
つづく・・・

ナラティブとは・・・?

 
ナラティブとは・・・
 
ひとことで、「物語」のことです
 
 
患者さんの病(病気)には、それぞれの患者さんで異なった“物語”があります。
 
その物語を医師(医療者)が認識し、吸収し、それに心動かされて行動する医療のことを
 
ナラティブメディスンといいます。
 
 
患者が、自身の経験をどのように意味づけているのか、
 
自分の体験をどのような言葉で語るのか、に注目することが重要だと言われています。
 
 
今日、僕が実際に遭遇した場面です。
 
 
患者「先生、私っていつまで鍼治療を続けたらいんでしょうか。」
 
私「あなたの症状は、鍼治療をやめてしまうと悪くなる可能性があります。
 
これ以上悪くさせないためにも、できれば週に一回の治療を続けましょう。」
 
患者「・・・わかりました、そうします。」
 
 
この後、この場面でとっさに出た自分の発言にとても後悔しました。
 
僕は、この患者さんの「いつまで続ければいいのか?」という問いを
 
「いつになったらよくなるの?」という言葉で解釈しました。
 
その言葉の解釈に対して、「鍼治療は予防の目的があるので、症状がこれ以上辛くならないように定期的に続けましょう」
 
という意味を持って患者に説明しました。
 
でも、実際に自分の口から出た言葉とは、ずいぶんニュアンスが違うように思います。
 
 
では、なぜこのようなことが起こるのでしょう・・・???
 
 
つづく・・・

鍼灸院と病院・診療所の連携について

埼玉医科大学の調査によると、ランダムに4つの都道府県の医師に
 
「鍼灸を患者にすすめたいか?」という質問をしたところ
 
約26〜45%の医師が「鍼灸を勧めたい」と答えました。
 
その中で、実際に「鍼灸治療院と連携がある」と答えたのは約7~13%程度でした。
 
 
「実際に紹介したいけど、繋がりがない。」
 
「鍼灸はなんとなくいいと思ってるけど、どこに紹介すればいいのか・・・」
 
このように考えている開業医の先生や、大学病院の先生は意外と少なくないのだと思います。
 
 
慢性疼痛、筋骨格系・内臓・自律神経系の機能障害などは、西洋医学では対応が難しく、
 
治療に苦渋するケースが少なくないです。
 
 
医師に対して、鍼灸治療の良さをアピールしていくかが課題です。
 
当院も、近隣の診療所と紹介状のやり取りをしたり、大学病院との繋がりができたりと、
 
徐々にですが、“連携のかたち”ができつつあるように感じます。

医療連携は大切!

 

 
今日は、脳神経外科との医療連携により、
 
適切な治療を受けることが出来た症例をご紹介します。
 
 
82歳 女性
 
主訴 腰〜殿部の痛み、両側の足趾の異常感覚
 
8月頃に腰痛の為、近所の整骨院でマッサージを受けた後から、腰痛が悪化。
 
「マッサージはとても痛かったけど我慢しました。」とのこと。
 
以前、圧迫骨折の既往があり入院歴あり。
 
随伴症状として、排便したいが少しずつしか出ない。
 
尿が出づらいなどの症状がありました。
 
 
身体所見・神経学的所見(専門的用語です)
 
明らかな筋萎縮、筋力低下はなし。
 
右足クローヌス陽性、アキレス腱反射減弱、ロンベルグ徴候陽性
 
脊椎叩打痛なし
 
 
これらの所見から、この患者さんは脊髄になんらかの問題があると考えられます。
 
「腰痛+便や尿が出にくい」という症状は“膀胱直腸障害”といって
 
膀胱や直腸につながる重要な神経が障害されている可能性があるため
 
鍼灸院では不適応(レッドフラッグ)となります。
 
 
迅速に、脳神経外科へ紹介状をお書きし、受診してもらいました。
 
結果は、予想通り「脊柱管狭窄、馬尾障害による膀胱直腸障害」の診断。
 
(※腰の脊髄が圧迫され、排尿や排便に関わる神経が障害されているという診断です。)
 
患者様は、すみやかに大学病院へ紹介され手術予定となりました。
 
 
鍼灸院でよく遭遇する「腰痛」や「しびれ」の中には、
 
重要な疾患が隠れている場合があります。
 
 
私達の治療院では、このような症例の見逃しがないようトレーニングし、
 
適切な医療機関への紹介を心がけていますので、患者様には安心して受診して頂けます。
 
 
ご高齢者の腰痛は、注意深い観察が必要ですね。
 
改めて医療連携の重要性を感じた症例でした。

ケニア渡航日記 -ものづくりと、ものがたり-

私達が最後に訪れたのは、首都ナイロビから20kmほど離れた小さな村にある
 
「マトマイニ・チルドレンズ・ホーム」という孤児院でした。
 

 
この孤児院をつくったのは、日本人女性の菊本照子さんです。
 
「ケニアの孤児や困窮状態におかれた子供の救護と保護養育」を目指し、1987年に設立されました。
 
30年間で約150名ほどの子供が卒園したそうですが、現在は孤児院としての役割としてではなく、
 
シングルマザーのお母さんたちに「ものづくり」を通して就労の機会を与える場所になっているそうです。
 
 
ここでの「ものづくり」とは、フェルトをつかったアニマルや、アクセサリーのことです。
 
職業訓練を受けた母親たちは、自分の作った工芸品の売上の一部を収入にして、子供の学費や生活費にあてています。
 
 
羊毛からつくられたフェルトは鮮やかに染められていて、ひとつひとつ針で突いてスポンジに馴染ませるそうです。
 
 

  

 
 
どの作品も違った表情でとてもかわいらしいです。
 
アニマルひとつひとつにお母さんの名前が書かれたタグがつけられています。
 
母さんたちの人生の「ものがたり」がタグを通して浮かんでくるようで、大切にしたいと思いました。
 

    

 
 
僕はいくつかのアニマルを購入して治療院の受付、待合に飾ることにしました。
 
機会があれば、アニマルの表情とそこに書かれたネームタグをみて
 
「ものづくり」を通したシングルマザーたちの「ものがたり」に思いを傾けてみてください。
 
 
 
マトマイニ・チルドレンズ・ホーム
 
フェルト工房や、それをつくるお母さん達のものがたりが紹介されています。
https://scckenya.xsrv.jp
 

ケニア渡航日記 -障がい児と家族のための総合ケア-

 
そろそろ渡航日記も終盤になりました。
 
9/21
 

 
スラムを抜けると、レンガ造りのきれいな建物が見えてきました。
 
「The Garden of Siloam」は、障がい児と家族の包括的・総合的なケアを行う施設です。
 
この施設に通っている87人の子供たちは、脳性麻痺、交通事故後遺症、てんかんなど
 
それぞれ障がいを抱えながら生活を送っています。
 
 

 
 
この施設をつくった公文和子先生のお話を聴くことができました。
 
 
彼らが障害を持って生まれてくるのは、ケニアの様々な情勢が影響しています。
 
正常分娩が行えたとしても、新生児のケアが適切にされないために
 
脳性麻痺などの後遺症が残ってしまうことがあるそうです。
 
また、日本のような療育制度が進んでいないため、障がい児の治療をしたり
 
適切なリハビリテーションをうけることが出来ない現状があるとを知りました。
 
 
この施設では、発達別にクラス分けされていて、それぞれの能力にあったリハビリテーションが受けられるようになっています。
 
お母さん同士のグループセラピーや、親子で参加する運動会などのイベントも開催しているそうです。
 
障害は、「出来ない」ではなく「違った形でできるようにする」こと。
 
という公文先生の言葉が印象的でした。
 

 
障がいを持った子供が、他者から受け入れられること。
 
親同士がお互いに支え合い、認め合うこと。
 
 
このような互助によるコミュニティーは、まさに日本が「地域包括ケアシステム」のなかで
 
構築しようとしている社会のあり方です。
 
社会保障制度の整っている日本とケニアを比べることは出来ませんが、
 
「The Garden of Siloam」で実践されている活動は、
 
これから日本の目指すべき「最強の地域医療」といえるのではないでしょうか。
 

ケニア渡航日記 -HIV陽性の子どもたちを支える学校-

9/21
 
私達は、4日間の医療キャンプを終え「カボンド」という村にある、
 
HIV陽性や障がいを持つ子どもたちの小さな学校を訪問しました。
 
 

 
 
この学校は日本の保育園〜小学校にあたる施設で、50人ほどの子供たちが通っています。
 
なぜ、HIV陽性の子どもたちの集団があるのか?
 
それは、生まれたときからすでにHIV陽性を持ってしまった子どもたちは、
 
周囲のまちがった偏見や差別により十分な教育がうけられないからです。
 
 
しかし、実際に学校に行ってみると、そこには子どもたちの可愛い笑顔と
 
素敵なダンスが僕たちを歓迎してくれました。
 

 
 
校舎は、土で塗り固められた壁と、簡単なトタンの屋根で中にライトはありませんでしたが、
 
太陽の光が差し込んだ教室内は、子供たちの学びに対する意欲と喜びに溢れているように感じました。
 

   

 
 
彼らは、日本では捨ててしまうようなメモ帳を大切に授業ノートとして使っていました。
 
紙きれ一枚の大切さは、きっとここに来て初めて理解したように思います。
 
 

 
 
環境が整っている日本の教育と比べるのはそもそも間違っているかもしれませんが、
 
自分に与えられた環境や、ものに感謝して生きることの大切さを改めて感じました。